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ヘンドリック・カシミール1世 (ナッサウ=ディーツ伯) : ミニ英和和英辞書
ヘンドリック・カシミール1世 (ナッサウ=ディーツ伯)[へんどりっくかしみーる1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

ヘンドリック・カシミール1世 (ナッサウ=ディーツ伯) : ウィキペディア日本語版
ヘンドリック・カシミール1世 (ナッサウ=ディーツ伯)[へんどりっくかしみーる1せい]

ヘンドリック・カシミール1世またはハインリヒ・カジミール1世:Hendrik Casimir I van Nassau-Dietz:Heinrich Casimir I. von Nassau-Dietz, 1612年1月31日アーネム - 1640年6月13日フルスト)は、ナッサウ=ディーツ伯(在位:1632年 - 1640年)、フリースラント州フローニンゲン州ドレンテ州の総督。ナッサウ=ディーツ伯エルンスト・カシミールとその妻でブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルハインリヒ・ユリウスの娘であるゾフィー・ヘートヴィヒの間の息子として生まれた。
1619年プロテスタント系のドイツ騎士団ユトレヒト大管区の補佐司教に選出され、翌1620年にはユトレヒト大管区長となった。とはいえわずか8歳のヘンドリック・カシミールの大管区長選出は形式上のもので、成年に達するまでは父親のエルンスト・カシミールが息子の職務を代行した。ヘンドリック・カシミールが大管区長としての職務を始めたのは1630年になってからだった。
1632年、父の死と同時にナッサウ=ディーツ伯爵位を相続し、父が勤めていたフリースラント、フローニンゲン、ドレンテの3州の総督職も受け継いだ。ナッサウ=ディーツ家領はカッツェネルンボーゲン伯領ヴィアンダン伯領ディーツ伯領、シュピーゲルベルク伯領(Grafen von Spiegelberg)、ビールシュタイン荘園(Bielstein)、リースフェルト男爵領から構成されていた。
1640年6月12日、ヘンドリック・カシミール1世はフルスト近郊での戦闘中に負傷し、その翌日に傷がもとで28歳の若さで亡くなった。遺骸はレーワルデンに葬られ、弟のウィレム・フレデリックが後継者となった。

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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンドリック・カシミール1世 (ナッサウ=ディーツ伯)」の詳細全文を読む




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